大判例

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宮崎地方裁判所 昭和54年(レ)8号 判決

控訴人(附帯被控訴人)

艮一男

右訴訟代理人

吉良啓

右同

五島良雄

被控訴人(附帯控訴人)

荒武スミ

被控訴人(附帯控訴人)

田崎盛男

右両名訴訟代理人

大野直数

主文

一、原判決を次のとおり変更する。控訴人と被控訴人らの間において、別紙物件目録記載の土地のうち原判決添付図面のイ、1、甲、ハ、ニ、ホ、ヘ、ト、チ、リ、ヌ、ル、ヲ、ワ、カ、ヨ、タ、イの各点を順次直線で結んだ線によつて囲まれた部分の土地が、控訴人の所有であることを確認する。

二、被控訴人の附帯控訴を棄却する。

三、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

事実《省略》

理由

第一当事者間に争いのない事実〈省略〉

第二土地の沿革と紛争にいたる経緯〈省略〉

第三本件係争地の地番と所有権の範囲の検討

一前認定の各事実及び〈証拠〉を総合して、各図面をその作成日附などを比較対照しつつ考察すると、

(1)  明治二一年更正された山之口町役場保管の山之口村大字山之口字吉ノ元の旧字図によると別紙(二)図面の赤線で囲まれた土地(以下、甲地という)の全体を二、三〇八番田と表示しており、これが、前認定四の(一)の分筆前の同番地田二反六畝二九歩の土地の範囲を示すものであり、その時点では同字二、三〇九番の土地の範囲は右旧字図に照らし別紙(二)図面の黄線で囲まれた土地(以下、乙地という)をもつて示されるものである。

(2)  前認定第二の二(一)のとおりの分筆により生じた二三〇八番ロの土地は前示旧字図はもとより、山之口町保管の現字図、宮崎地方法務局高城出張所保管の字図などにも記載がないが、右現字図、技術員天神良四郎作成の土地分筆地形図によると甲地を分筆した以上、甲地内に右二三〇八番ロと二三〇八番一の土地が存在することは明らかである。

(3)  大正八年六月の精図をもとにしたものである山之口町役場保管の現字図をみると、前示甲地内のほぼ赤斜線部分(以下、甲a地という)を指すと思われる個所に「二三〇八番田」と墨書した後二三〇八番が朱抹され、その右隣に二三〇八の一と鉛筆書されているがこれも朱抹されており、また、ほぼ甲地内の青斜線部分(以下、甲b地という)を示すものと思われる個所に二三〇九番ノ三田と記載され、その付近に河川と記入されているのでおよそ甲a地が前認定第二の二(一)の分筆後の二、三〇八番ロの土地であり、甲b地が同分筆後の二、三〇八番一がその後前認定第二の二(六)で二、三〇九番一に合筆され、さらにこれが二、三〇九番三として分筆された土地に当ると解されるが、他方、宮崎地方法務局高城出張所保管の字図(これは前示旧字図を原図としたものと認められる)では甲a地の一部に入り込んだ個所に鉛筆で二、三〇九ノ三と記入されており、昭和二二年九月艮森榮が都城税務署長に提出した申告書添付の地形図では甲b地付近に二、三〇九ノ三と記載しているが甲a地は何らの記入がなく、甲地全体が二、三〇九ノ三とも読み得るし、昭和三七年一〇月二二日前記高城出張所に提出した分割地形図では甲a地ないし甲地全体が二、三〇九ノ三に当ることを示すような個所に「二三〇九ノ三」と記入されている。

したがつて、甲a地が二、三〇八番ロであり、甲b地が同番一の土地であると断定するにはなお少なからぬ疑問が残りそれを認めるに足る的確な証拠はいまだ不十分であるというほかない。

(4)  前認定第二の(二)のとおり二、三〇八番を一とロに分筆したのは洪水として荒地となつた同番一からその後起返り耕地となつた同番ロを田として復活するためのものであつたことに照らすと現時点では本件係争地(原判決添付図面のイ、1、甲、ハ、ニ、ホ、ヘ、ト、チ、リ、ヌ、ル、ヲ、ワ、丙、カ、ヨ、タ、イの各点を連結した直線で囲まれた土地)がその東側を流れる吉ノ元川に接する付近にある右ニ、ホ、ヘの各点を連結した直線で右分筆がなされたもので、本件係争地が甲a地に当ると推測できなくもないが、右河川は明治二一年当時前示旧字図では甲b地を水没させていないことからすれば、前示分筆理由である明治一三年の洪水後でかつ右分筆後の時点で河川が流路を変えたものと認められる(これは、前記現字図の「河川」の記入及び明治三三年に改めて免租継年貢の許可がなされていることからも推認できる)。ところが、どのように河川の流路が変つたのかはこれを認めるに足る的確な証拠がないので、本件係争地が前示甲a地と完全に一致するとの事実はにわかにこれを認定することはできない。

二以上の事実ないし事情があるといえるので、これらの各事実を考え併せると、本件係争地のうち少くともその一部は前示甲a地即ち控訴人所有の二、三〇八番ロの土地であることを推認することができるが、本件係争地全体が右控訴人所有地であること、又は被控訴人ら所有地であることとか、本件係争地のどの範囲が控訴人地でどの範囲が被控訴人地であるかという点については、本件全証拠によつてもこれを認めるに足りない。

即ち、原判決が認定の基準としている本件係争地の段差は前認定第二の二(五)のとおり控訴人が第二次大戦後開田した控訴人が設けた畔あとであつて、右所有権の範囲を分ける基礎とすることはできないし、甲地全体の実測面積は河川によりその一部が水没した現時点において容易に測定できず、またこれを認めるに足る的確な証拠がないから、公簿面積の按分比例により判定もできないのであつて、結局かすかな証拠の優越をいうのならともかく、右の点につき民事訴訟における事実の認定に必要な高度の真実蓋然性を認めることができないからである(最判昭五〇・一〇・二四民集二九巻九号一四一七頁参照)。

第四時効取得の検討

一前認定第二の二(五)によると、控訴人が本件係争地全体を昭和二〇年頃から二〇年間占有したことが認められ、他にこれを覆えすに足る証拠がない。

そして、占有者である控訴人が所有の意思をもつて善意、平穏かつ公然に占有しているとの民法一八六条一項の推定を破るに足る事実は被控訴人らにおいてその主張も立証もないから、控訴人は本件係争地につき昭和四〇年末日に取得時効が完成し、これを時効取得したものといわねばならない。

二なお、本件係争地全体が控訴人所有地であることを認めることができないが、そうかといつてこれが被控訴人所有地であるとも認定できないことは前示のとおりであるが、取得時効の要件を定める民法一六二条一項がその対象を「他人ノ物」と規定したのは通常の場合を示したにすぎず、同条は自己の物について取得時効の援用を許さない趣旨ではなく、所有権に基づいて不動産を占有する者についても、同条の適用があると考える。けだし、取得時効は不動産等の物件を永続して占有する事実状態を、一定の場合に、権利関係にまで高めようとする制度であるから、自己所有の不動産を永く占有するものであつても、その公図などが不備なために所有権の範囲の立証が困難である場合は、取得時効を認めるのが制度本来の趣旨に合致するのであつて、時効制度により折角自己の所有権の立証の困難を緩和しておきながら、一方で他人が権利者であることの立証を要求するのは矛盾であり、むしろ本件のような場合には取得時効が一種の所有権の範囲(境界)確定の機能を営むべきであるからである(最判昭四二・七・二一民集二一巻六号一六四三頁、最判昭四三・九・六判時五三七号四一頁参照)。

したがつて、控訴人は本件係争地を時効取得し、その所有権を取得したものといわねばならない。

第五時効と被控訴人らの登記との関係被控訴人らが昭和五一年三月一五日大村正夫から二、三〇九番三の土地を買戻し、同月二五日所有権移転登記を了していることは、前認定第二の二(二〇)のとおりであるが、土地の時効取得者に対し民法一七七条所定の登記の欠缺を主張するにつき正当な第三者であるといわんがためには、自己が当該土地に対する登記を時効完成時以後に了したことを主張、立証すべきであると考える。

そして、前示認定の事実によると、本件土地につき控訴人の取得時効が完成したのは、昭和四〇年末であり、被控訴人らが二、三〇九番三の登記を了したのは右時効完成後の昭和五一年三月二五日であることは明らかであるが、右二、三〇九番三の登記が本件土地に対するものであること、即ち、登記と本件土地との結びつきについては、本件全証拠によつてもこれを認めるに足らない。けだし、前示のとおり本件土地が二、三〇九番三の土地であるか、二、三〇八番ロの土地であるかは明らかでなく、そのいずれとも認めることができないのであるから、被控訴人らの了した二、三〇九番一の登記が本件土地に対してなされた登記であるとの事実が認められないものというほかなく、本件全証拠によるもこれを認めるに足る的確な証拠がない。

したがつて、被告らの主張する登記欠缺の抗弁は採用できない。〈以下、省略〉

(吉川義春 三谷博司 白石研二)

別紙(一)、(二)〈省略〉

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